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38件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2014-03-04 第186回国会 参議院 予算委員会 第6号

国務大臣岸田文雄君) トンキン湾事件につきましては、日本政府は有権的な判定をする立場にはありませんのでコメントは控えたいと存じます。  トンキン湾事件につきましては、米国高官が引退後にこれについて言及したことはあったと承知しておりますが、アメリカ政府自体コメントはしていないと承知をしております。

岸田文雄

2010-03-16 第174回国会 参議院 予算委員会公聴会 第1号

それは、ミサイルを発射してしまったとか、プエブロ事件のようなものですね、それからトンキン湾事件とか、そうなると、アメリカ軍事的行動、これは海上封鎖から空爆まであって、まあ地上部隊は使えないだろうと。  その次、中国の学生に聞いたところですが、二十一ページです。中国はどこに向かうのかというと、日本を十倍にしたような民主主義国家になりたいと言うんですね。

志方俊之

1979-02-28 第87回国会 参議院 決算委員会 第2号

そしてトンキン湾キティーホークに乗り込んで、第114VAWに所属をしてそれでE2Bに乗って作戦に参加したと、こうはっきり言っております。そしてこれは前にも国会で出ましたが、攻撃機隊後方にあると、そしてベトナムの沖合い七十五マイルまで行くことを許されているということをはっきり言っております。航空雑誌でもそんなことはいっぱい載っております。

内藤功

1979-02-15 第87回国会 衆議院 予算委員会 第11号

○正森委員 そのムーア大佐は、自分は第一一四空母機上早期警戒隊のE2B機に乗り、キティーホークに所属してトンキン湾上での作戦に参加した、こういうように言われまして、E2Bはベトナムに対する攻撃機後方約千フィートぐらいを飛ぶのだ、しかし、敵戦闘機には弱いから、敵陸地から七十五マイルだけ離れることが要求されている、そして攻撃機を誘導して種々の指示を与えるのだ、こういう意味のことを言われているわけであります

正森成二

1976-02-04 第77回国会 衆議院 予算委員会 第7号

結局のところ、必ずしも事実は当時アメリカ政府が説明したとおりでなかったかもしれないという相当な疑問が持たれるに至りまして、したがって、その後になってトンキン湾決議というものは効力を失うに至ったということであると思います。しかしその当時、そのような解釈のもとに米国上院決議をしたことは事実であります。

宮澤喜一

1975-06-17 第75回国会 衆議院 内閣委員会 第24号

トンキン湾の問題と同時に、カンボジアマヤゲス号の拿捕問題、こういうものについても、私はひとつこの際お聞きしたいと思う。やはりこれはカンボジア政府不法行為であった、こういうふうに解釈しておられるかどうか。領域内の侵犯であるとか、片方は公海を通ったとかいろいろ言っておりますけれどもね。

鬼木勝利

1975-06-12 第75回国会 参議院 予算委員会 第23号

政府委員高島益郎君) トンキン湾事件と称しますのは、一九六四年八月二日、ハノイの南東百五十キロを哨戒中の米国駆逐艦マドックス号が三隻の北越魚雷艇から魚雷及び機関砲により攻撃を受けまして、空母艦載機護衛により魚雷艇一隻を大破、二隻に損害を与えたという事件でございまして、米国政府は、八月五日、同事件ジョンソン大統領の名前によりまして安保理事会に報告し、安保理事会の審議を求めるための同理事会の招集

高島益郎

1973-12-19 第72回国会 参議院 決算委員会 第1号

そうしてトンキン湾へ行って、そこから航空母艦を爆撃する、あるいは艦砲射撃をやったというのが、当時のアメリカ軍も、そうして北ベトナム報道にもあったわけです。どう計算しても、四月三日あたふたと出て行ったこの「オクラホマシティ」、航空母艦「コンステレーション」その他の艦艇がトンキン湾へ行って攻撃を開始した時間を考えるというと途中寄ったということはとうてい考えられない。

片岡勝治

1973-06-21 第71回国会 衆議院 内閣委員会 第32号

それからトンキン湾の場合には、非公式の情報デフコンを三に上げたというふうに伝えられております。それから、いまの北鮮機の航跡があらわれたというときも、私も承知いたしておりますけれども、これもデフコンをあげましたが、数字は存じておりません。その他の場合に、いまおあげになりましたことについては、私どものほうで、米側がどういう措置をとったか存じておりません。

久保卓也

1973-06-21 第71回国会 衆議院 内閣委員会 第32号

○岡田(春)委員 そこで若干伺っておきますが、アメリカデフコン在日米軍基地において実施されたのは、私のほうで記憶しているのでは、キューバ事件のとき、プエブロのとき、それからトンキン湾のとき、北朝鮮の飛行機が三機スクリーンに出たといって間違ってデフコンを出したとき、それからアメリカのEC121が撃墜されたとき、それから去年のアメリカベトナム機雷封鎖のとき、六回ですね。これ以外にありますか。

岡田春夫

1973-02-02 第71回国会 衆議院 予算委員会 第4号

不破委員 大平さんは慎重に、評価をしないというように言いますけれども、いままでの日本政府の代表は決してその点慎重ではないので、たとえばトンキン湾事件が起きたときには、椎名外相外務委員会で、アメリカ側がとった行為自衛権の範囲内である、やむを得ないものであるというようにはっきりこれを支持する評価をしております。

不破哲三

1973-02-02 第71回国会 衆議院 予算委員会 第4号

アメリカ軍事介入をしてトンキン湾にいたから事件が起きたので、トンキン湾事件が起きたからアメリカの軍隊が派遣されたのじゃないのです。事態そのものがそういうことでしょう。介入してそこにいなければ事件は起きませんから。だから、いまのお話は二重に違っているのですけれども、アメリカ軍事介入が始まったずっと以前なんです。大体米軍援助司令部が設けられたのがトンキン湾事件の二年前ですから。  

不破哲三

1972-05-23 第68回国会 衆議院 内閣委員会 第24号

それから、あまり時間がありませんから申し上げますけれども、日本基地を使ってトンキン湾沿岸機雷封鎖されました。これは私は新聞紙上その他マスコミを通じて知ったわけでありますが、この機雷封鎖について、外務省ではこの問題については、最初は補給活動だと言っておったけれども、やはりよく考えてみれば、少なくともベトナム沿岸奥深く、ベトナムの内水まで入って攻撃を受けながら機雷というものを敷設した。

伊藤惣助丸

1970-12-07 第64回国会 衆議院 内閣委員会 第2号

東中委員 もう一回その点で念を押してお聞きしたいのは、たとえばトンキン湾事件が起こったとき、その背景は日本政府はよくわかっておったわけではないはずです。その後のアメリカの議会では、今日ではあの事実は実際でっち上げであったというような議論がされておる。そういう問題が徐々に明らかになってきております。

東中光雄

1970-12-07 第64回国会 衆議院 内閣委員会 第2号

○愛知国務大臣 トンキン湾等のときの経過等については、御承知のように私あのときその衝におりませんでしたから、正確なお答えはできませんけれども、しかし、ただいまお尋ねのような具体的な作戦行動等について、これはどうでございましょうか、一々コメントすべき問題ではない、日本政府の態度としてはそれが妥当ではございますまいか、こういうふうに私は今日この件について考えておるわけでございます。

愛知揆一

1970-05-07 第63回国会 参議院 外務委員会 第10号

黒柳明君 トンキン湾事件のときの五十一条の集団自衛権の発動、ところが、トンキン湾のあの決議は、すでに御存じのように破棄されているわけです。ですから、トンキン湾事件、あのときも国連憲章というものを一応大義名分としてアメリカベトナム進駐——ベトナムに対して攻撃を始めたわけです。今回の場合には、そういう法的根拠がないんじゃないか、こういうこともまた問題になっているわけです。

黒柳明

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